Kapalua 4
邸宅のリビングに通されたオレたちは、
タツ永島氏と夫人と向き合い、
コナコーヒーとクッキーなどをいただきながら、
「ここはいい所ですね」
というような永島氏の話から、我々はまったりとした
時間を過ごすこととなった。
そもそも、目的など無い訪問だったのだから。
永島氏は年の割りに背筋もしゃんとしていて
ダンディという形容が自然に
照れずに使える人であった。
正直、その時は夫人の方が老けているように見えた。
しかし、先日テレビに出ている夫人の姿を見て、
あの時の印象より若いのに驚いた。
もっとも、オレたちが彼らのマウイでの休暇中に
勝手に闖入したのだ。 完全にオフモードだったのだろう。
そう言えば、夫人は化粧っけも無かったようにも思う。
そして、いつしかやはり
ビートルズやウィングス来日の話になっていった。
Kapalua 3
本当によく晴れた日だった。
事前に電話を入れて、知人とタツ永島氏の別荘へ向かった。
カバルアというより、実際にはカアアナパリに近かったと
記憶している。
山の方へ登っていく高級別荘地の一角だった。
だが、似たような通りがいくつもあり、
結局、オレは携帯(当時最新のモトローラ社製。かなり
現在の携帯の大きさに近い。あのゴッツイ奴ではない)で
電話し道案内をしてもらった。
チャイムを押すと、彫りの深いロマンスグレーの男が
笑顔で迎え入れてくれた。
これがジョン、ポール、ジョージ、リンゴを日本に
呼んだ男なのか。
どこまでも青い空と、目の前の初老の紳士。
オレがガキの頃の日本の大騒ぎ。
その後のビートルズとの関わり。
玄関に入った時には、それらすべてがオレの中で
まだうまく結びついていなかった。
流浪の旅
最初にブログを始めたのは今年の5月末日。
サーバーの遅さで瀬戸てんやわんやしている _| ̄|○
「ドブログ」で、だ。
これはたまたま知人の薦めであり、
気まぐれで始めた。
しかし、生来の辛い時こそ、笑い飛ばそうという
性格か、その内容が受けトップページにTBされる
ハメにまでなって、こっ恥ずかしかった。
しかし、初めてすぐにユーザーが急増したのか、
NTTデータがブログパワーをなめていたのか、
22~26時はダイヤルアップ時代を彷彿とさせる
重さになっちまった。
面倒なことはまっぴらご免だったが、
これまた知人の紹介でアメーバに移ってきた。
ただ、使い勝手から言うと「ドブログ」の方が良いので、
まだ「半」引越し状態だ。
ただ、「ドブログ」の良いところは、
文中のリンクがいとも簡単に貼れるGUIがあり、
訪問者数がリアルタイムでわかり、
訪問者もドブロガーがログインしていれば時系列でわかり、
画像の容量制限も(今のところ)無いことなどだ。
従って、きれいな画像を載せる写ブロガーは多い。
ただし、広告は掲載不可。
純粋にブログを楽しもうという人間が自然、集まっている
気がする。
もっとも、「ドブログ」もどうやらまだβ版で無料だから、
多少の支障は捨象して苦笑していろ、という感じがありありと
モハメッド・アリだ。
_| ̄|○
ただ、
一方で、
「ココログ」やいまだに会員数トップと言われる「はてな」
などはリンクを貼るのに、いちいちタグを貼り付けるらしい
ではないか。
そりゃあ、かったるい。
しかも、有料サービスまで設定しているブログだぜ。
それなのに、「はてな」がトップ。
まさにはてなだ。
_| ̄|○
ま、まあ、
ping 送信も受け付けてなかったり、設定が難しかったり、
ブログもまだまだこれからしばらくは群雄割拠。
カッコーの巣の上で状態だな。
今日は久し振りにゆっくり風呂に浸かった。
風呂上りのビールは旨いぜ。
まったく、単純だ。
Kapalua 1
マウイにはカフルイから入るのが普通だが、
911以来、インターアイランド便のセキュリティチェック
にもやたらと時間がかかるようになった。
だから、オレは天候さえ良ければカパルア空港から
マウイ入りすることにしている。
霧が発生しやすいめ、全米でも屈指の欠航率を誇る空港だ。
_| ̄|○
しかし、小型ジェットしか降りられない空港だから、
オアフでのセキュリティチェックもかつてのハワイらしい
田舎空港のいい加減さだ。
何より、着いたカパルア空港の閑散とした感じや、スタッフの
鷹揚さが、オレはとても気に入ってる。
これぞハワイだ。
空港に着いたら、10分程で宿泊先のカパルアヴィラに到着。
ご機嫌だ。
この写真は、毎年PGAツアーの第一戦、
メルセデスオープンが開催されるカパルア・プランテーション
コースの18番ホール。
いつ行ってもタフなコースだ。
今年はウッズも丸山も来ていたが、両者振るわなかった。
しかし、マウイにはまだいろんな思い出がある。
カヌチャベイ 1
沖縄本島の北東にカヌチャベイというリゾート地がある。
普天間基地の移転候補として現地調査が始まったエリアにも程近い。
敷地が広く、カートを借りて移動することにした。
ランドスケープモチーフは、比較するのは可哀想だが、一応
マウイのカアナパリやワイレアなどだったのかもしれない。
沖縄には地縁血縁村社会が良くも悪くも残っている。
オレは羨ましいと思っているが。
那覇以外にも泊まってみようと考えたときに、
然るべき友人に聞くと、然るべき友人を紹介してくれて、
さらにカヌチャでも然るべき部署の然るべき責任者のはからいで
然るべきプライベートコテージで数日を過ごすことが出来た。
朝夕は、これが8月かと思う程いい風が吹く。
東京の夜とは比べ物にならない位しのぎ易い。
しかし、
敷地内にはゴルフ場もあるが、7月、8月の日中のプレイは
する気になれない。 十分な水分を採り、日除け対策を万全に
しないとかなり危険だ。
朝7時位のスタートでスルーでプレイすれば、何とかラウンドできる
かもしれない。 礼美はカートの運転だけでもいいと言ったが、一人で
ラウンドするより、二人で一緒に出来ることばかりしていた。
周囲に何も無い。 名護までは島を横断しなければならない。
その分、静かでよい。 礼美と毎日、海と夕陽を眺めて抱き合っていた。
ともかく、東京のヒートアイランド現象の異常さを沖縄で再確認した。
実際、気温だけを比較すれば、まるで沖縄に避暑に行ったかのような
夏だった。