電脳東京本店 -62ページ目

New York 3




今日も打った松井秀喜。
そして、ヤンキースはリーグ優勝戦に二連勝した。

きっと、
今の松井のメンタル面はスウィング時に
このようになっているはずだ。


間違いない。


ただし、対マルチネス以外。
_| ̄|○



オレが凄いと思うのは、
松井の野球や、それ以外で見せる(オフィシャル)態度が
星陵高校の4連続敬遠の時のそれと
ほとんど区別が付かないほど一定しているということだ。


松井はわかっている。


ファンあっての自分だということを。
野球あっての自分だということを。



このことは毎年、郷里に帰る度に彼の父親が
繰り返し、言ってきたそうだ。
勿論、高校の時も、巨人の時も。



だから、そのシンプルな原則が今も脈々と生きている
大リーグに行ってよかったと、オレは思っている。




...あ、打たれているキャッチャーは古田だな
...あ、後ろに見えるのは近い将来、名前の無くなっちゃう企業名だな






London 4




それから、英国を語る上で覚えておきたいのは、
外国人(旅行者)に対する、あの無関心とも言える
寛容さだ。


バブルの頃、彼の地の古城などを日本人が買い
まくっていたが、ロックフェラーセンターを
三菱地所が買った時の米国人の反応とは明らかに
違っていた。

そういうことを考えると、英国は良くも悪くも
成熟しきって、一丁上がり状態なのではないだろうか。

米国人の方がライバル心むき出しで、世界に君臨
する国家としての自負やプライドがまだあるということか。
この二年は、あり過ぎか。



英国人はユーモアもまたいい。
古城を日本人やアラブ人が買いあさっていた時も、


誰が買ってもいいではないか、
どうせイギリスから持ち出せないのだから



と、うそぶいていたのを記憶している。




画像は映画「Love Actually」の1シーン。
誰がどう見ても、ロバート・パーマーのPVのパロディだ。

...あ、そう言えば、パーマーももう居ないんだな。
イカしたおやじだったのに。 早過ぎるぜ。



オーガスタ





ゴルフのマスターズが行われる
ジョージア州オーガスタナショナルゴルフクラブ
で、プレイするのは結構大変だった。

まずは、クラブメンバーを探すところから始まる。
あそこは小金井以上に伝統と格式があり、
オープンには会員権が売買されることがないらしい。

通常は、親から子へ、もしくは、大親友へ、と世襲に
近い
形で譲り継がれるようだ。


実際、PGAツアープロでさえ、同クラブの会員はニクラウスと
パーマーだけだ。

ウッズは黒人ということで(暗黙のうちに)入会拒否
されているらしい。 南部ジョージア州だし、さもありなん。



日本人で会員は果たしているのだろうか。

結局、メンバーとして浮上したのは、友人の父親が譲った先の
カナダ人といった調子だった。


だから、マスターズ観戦チケットも向こう何年分もの順番待ち
状態が続いている。 そこに目を付けた近隣に住み、かつ、
コース観戦できない人、もしくは全くゴルフに興味の無い人たちは、
その期間、参加プレイヤーや観戦する人たちに家ごと貸して、
マスターズの前後の期間はバケーションを楽しんでくるらしい。



ゴルフ、そして、コンパクト
と言えばこれ↓
http://www.matsudaira.co.jp/cm/go320.wmv



なんでもコンパクトにすればいいというものではない!



これでは、いつまでたっても日本から
ビッグスケールのプレイヤーは出ないか。

_| ̄|○



London 3




リーゼント」の発祥の地、リージェントストリートでは、
オレはなぜかよく道を聞かれた。


ある日も、イギリス人夫婦に道を聞かれたことがあった。
二人とも50歳前後であったろうか。

訛りからして、明らかにロンドン子ではない。
そう、リバプール辺りのべったりした感じの発音だった。


ハロッズはどこだと聞かれた。
観光客であることに間違いない。

しかし、
どうでもいいが、何故よりによって東洋人のオレに聞く。

まあ、それが諸外国の大都会というものか。
ロンドンは歴史的経緯から、インド系をはじめとする
有色人種が予想外に多かった。



オレがその夫妻に道順を答えると、

ああ、キミ、アメリカ人の割りには、よく知ってるな。
ここに住んでるのか、と聞く。


いや、
オレの国では、イギリス人の男はモテるから、
その理由を確かめながら遊びに来ているのさ、と真顔で答えた。

実際に、それは当時のオレが気になっていた
ことの1つであった。
嘘はついていない。



と、言うと、その旦那の方は嬉しそうに、
いかにもいかにも、子が親を慕うのは当然だからな!

カッカッカと笑い出した。



このように道を聞いてくるおのぼりさんカップルには
何回も出くわしたが、ほぼ例外無く「教室式真横並びポジション」
でオレと対峙することが多かった。



観光客ほど暇な人間もいない。
そんな時は、上記のような軽口をたたいて早々に退散する。

オレは肩をすくめて、アンダーグラウンドの入り口に向かった。
自分の国が日本だと言うのが面倒だったこともある。





London 2




キララ☆のブログ
http://kirakirakirara.ameblo.jp/
見ていて思い出した光景がある。


=======(一部抜粋)========


  愛ってなに?
  永遠の課題だと思うけど。

  なにかの本に書いてあったのは

  一緒に見つめあうのでなく
  同じ方向を見つめること


=====================



その「なにかの本」がどんな本であるかは、オレは知らない。
ただ、英米での食事のセッティングの際、面白い現象が起きる。

たとえば、バルコニー、ハワイで言えばラナイで見た経験則
から言えば、上記の愛のスタンスに近いのは米国より英国だ。

イギリス人の夫婦または恋人同士は、向かい合っているより、
学校の教室のように机を真横に並べて、食事をしている風景が
印象に残っている。 



これが、たまたまなのか、英国人ならではのものか、
欧州文化に由来するものかはわからない。

目が乾燥し切って、網膜が溶けそうな位に互いを
見詰め合うのは、圧倒的に米国式だ。



何故だろう。

これは、
食事の時に限らないかも、しれない。


リージェントストリートでウロウロしていた
時のことも思い出されてきた。


ガハハハ 2



いやぁ まさかこの
「ガハハハ」で「2」を書くとは思わなかったが。


書いてしまおう。


オレがブックマークしている池内ひろ美ちゃんだが、
その華奢な体で、

「そんなにいっぱい仕事いやぁ~ん」などと言いながら、

日本のオヤジ活性化計画にまで加担しているとは、
なんてタフでチャレンジングなんだ。
http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/ikeuchihiromi/2004/10/post_4.html#more



でもさ、

オヤジの気持ちはオヤジにしかわからんぜ。
そして、オヤジと言えば...





  おやじギャグ





ハイ来た、これ。
これね、これこれ。



ここだけの話、
オレのブログを参考にしてもいいぜ。
_| ̄|○



あ、それから、
先日の焼肉の件、技術班しか差し向けられず、
しかも、彼らもご一緒できずに申し訳なかった。

旦那の「タケシ」(←詳しくは、ひろ美ちゃんのブログを
隈なく読むように)が居ない時に、オレと二人で出掛けよう。


以上、事務連絡終わり


スタンフォード 2




某国外務省の幹部候補生は、入省数年の間に一度は、
まず、英米中露独仏の大使館へ派遣されるのが通例だ。

希望は出せるがそのまま通るかはわからない。
英米は人気があるが、その後の省内競争も厳しい。
(ま、大抵は入省時点で次官候補はだいたい決まってるわけだが)


米国の場合、たとえば、スタンフォードなどの大学で
学びながら、若干の公務も行う。



そいつは、学生ラウンジ近くの芝生で
既に出来上がっていたようだ。

かなり、騒いでいた。

カリフォルニア州でパブリックスペースでの
飲酒が禁止されていたかは知らないが、

なんだか恥ずかしい野郎だと思っていたら、
案の定、大学のセキュリティガードがすぐにやってきた。
きっと、周囲の誰かが通報したのだろう。


二人の大男に両脇を持ち上げられ、
引きづられながら、


奴はカリフォルニアの青い空に向かって
言ったね、



 「ア、アイム アナンバサダァ~...

  オヴァ ジャ○~~ン!!





郷ひろみか、おまえは。
そんなところで外交特権を行使するな。

だから、甘く見られるんだ。
思い出すだけでもヘドが出るぜ。


なんでも、奴の所属する機関では、その後、
その国の王子と結婚する民間女性も働いていた位、
由緒正しい人間が多いはずなのだが。

その女性も、連日連夜、睡眠時間平均3~4時間前後で
バリバリ働いていたっていうのにさ。



今日、いや正確には昨日は速度制限が無くても、
いやがおうにも40キロ程度でしか運転できなかった
高速乗ったせいか、つまらん話を書いちまった。

失敬失敬。



ええーい





  いい加減にしろドブログ


  
  あれが正式サービス開始か。 
  なんだあの遅さは。



  NTTグループの中核企業が、その程度かよ。

  かなりガックリだ。


  
  「電脳東京・夏」もこれからが佳境だったのに、

   何だか気が失せちまった。







  でも、書くぜ。

  更新が無くても、あんなに見に来てくれている
  ブロガーたちのためにな。


  NTTデータも責任を果たせ。




スタンフォード 1




それはも勿論、米国西海岸にも風光明媚な所は多い。
海岸ではないがヨセミテは何度行っても飽きない。
モントレー辺りもひなびていて良い。


しかし、

L.A.からサンディエゴに行く途中に寄った
スタンフォード大学キャンパスもご機嫌だった。



なぜって?




キャンパス内にゴルフコースがあるんだぜ、おい。




ともかく、そのインパクトが強すぎて、
今日のエントリーはそれ以外のことは書きたくない。


そこで居あわせた、某国外務省外交官の痴態については
また明日書くことにしよう。
やばいかな、やっぱり。



Kapalua 5





実は、オレはほとんど知らなかったのだ。
タツ永島こと、永島達司氏のことを。


業界の大物、伝説のプロモーター、
ビートルズを日本に呼んだ男、等々の話は
行きがけの車の中で知人に聞いていただけだった。

当時のキョードートーキョーやウドーは面白い人間が沢山居た。
今も居るのかもしれないがオレは知らん。

だから、そういう会社の頭(ヘッド)に会ってみたく
なっただけだったのだ。



年齢のせいもあるが、とてもとても、穏やかな人だった。

ウィングス来日公演のチケット、結局時間が無くて払い戻し
してないんですよ、とオレが言うと、いくらだったっけと、
氏は財布を取り出す仕草をしたりして場が和んでいった。


ポールとは今でもよく会ったり、連絡していると言っていた。
ビートルズの来日時には、ジョンが思いのほか人なつっこいことや、
ジョージは恥ずかしがりだとか、リンゴはやはりリンゴだったとか、

そのようなことを聞いた。


関係者や書物も出ているし、氏の語ったビートルズのことや、
ウィングス来日の「一件」のことなどに関する氏の思いの詳細を
書くことは避ける。 もう本人の承諾も得ることができない。

その頃、ネットもなく、いわんやこのように誰もがブログに
好きなことを書くというような時代が来るとは考えてもいなかった。

氏から聞いた話は、そのような前提で聞いた話でもなく、無論
取材でもない。 まったくのプライベートな会話だった。




いまでも、マウイで昼下がりの気持ちよい風を受けると


だって、あの当時ビートルズを日本に呼ぼうなんて
 突飛過ぎて、やろうとした人間がいなかったんだ。
 だから、やってやろうと思ったんだ



と、無邪気に語る氏の面影を思い出す。



楽しかったなぁ


と、氏がしみじみと漏らした言葉と表情、そして、この偶然の産物
である数時間の出会いは、今でもオレの中ではキラキラ光っている。